a_sue’s diary

a_sue の日記 はてなブログ版

『赤毛のアン』 L.M.モンゴメリ 松本侑子(新訳) 文春文庫 文藝春秋

いつ着手したか調べればわかるけど、まあそれは置いといて、主に通勤時に持ち歩いて、例によって最後の方は止められなくなって家で読んで先ほど読了。
いい歳したおじさんが帰りの電車で泣きながら読みましたよ。
むかし読んだ頃は大学生だったので受験の話とかまで来ると身近に思えたけど、すでにカスバート兄妹の年齢になってるのでそっちの立場で読んでしまう。
子供がいる生活って、家が賑やかで楽しいよね。
アンを引き取ることで、一番幸せになったのはマシューとマリラだよなぁ。
最後のブラウニングの詩は、最初に見たのが高校の授業か「ポーの一族 小鳥の巣」か。
「神、空にしろ示し、すべて世はこともなし」で覚えてるので、わかりやすい現代語訳はちょっと違和感だった。
ともあれ、幸せな気分で読み終えた。
僕も心の同類かもしれない。

で、この本の何が凄いって、膨大な訳注ですよ。
日本の現在の小説なら当然常識としてわかるようなちょっとしたことが、19世紀末のカナダを舞台にした小説だとなかなかわからない、そのあたりを膨大な手間をかけて調べた注釈として付けてある。
ネーミングや食卓に並ぶお菓子や料理の種類にもすべて意味があり、それを読み解いた注釈に圧倒されますよ。
せっかくなのでしおりを2枚使って、本文と訳注をいったりきたりしながら、その場で注を読むわけですな。
村岡花子訳を読んだのが40年ぐらい前で、高畑勲版をちゃんと最後まで見たのがいつだったか。
最近やってるのはWOWOWのを20話ぐらいまでだし、MXで今やってる再放送も在宅勤務が終って同じあたりまでしか見てないし、というわけで、後半の展開をだいぶ忘れてるわけですよ。
訳注が解説するときに、この先の展開を暗示させるとか、時によっては先の展開が書いてあったりして、あ、そうだったっけと気付いちゃったり。
最後の方は危ないのであえて少し遅らせて注を読んだりしてた。
それを差し引いてもこの膨大な訳注はほんとに貴重でありがたかった。

赤毛のアン (文春文庫)

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さて、次はこれか?

アンの青春 (文春文庫)

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